会社沿革
応永2年、泉州堺にて始祖鉛屋市兵衛が明人からの直伝により鉛丹の製法を学び、子孫に伝授してまいりました。
以後、六世紀を経過、時代の推移と共に汎用性のある製品として、種々の分野に需要が拡がり、現代では多くの経験と実績を基礎として、鉛化成品をはじめ、塩ビ用安定剤や特殊樹脂分野への進出も実現してまいりました。
1395年(応永2年)頃 | 始祖鉛屋市兵衛、明人より鉛丹の製法を伝授される | |
1596~1623年 | 鉛丹の種類を乗久丹、光明丹、長吉丹、勝吉丹、菊丹等に分類 | |
1737年(元文2年) | 徳川幕府が製造統制令を発令し、鉛屋市兵衛は御定丹製法人の一人として 公認される |
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1875年頃(明治8年) | 初めて海外製鉛丹が輸入される 同時に中国、インド、東南アジア諸国、南アメリカ、東アフリカへの輸出量が増大 姉妹会社である合資会社荻田商店が大阪の天王寺で鉛白の製造を開始 |
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1909年(明治42年) | 3月 | 合資会社鉛市商店に組織変更 |
1915年(大正4年) | 7月 | 合資会社荻田商店から鉛白製造を受け継ぐ |
1918年(大正7年) | 10月 | リサージ(一酸化鉛)の製造を本格化させる |
1926年(大正15年) | 6月 | 株式会社鉛市商店に組織変更 |
1945年(昭和20年) | 4月 | 鉛市化学工業株式会社に社名変更 |
1974年(昭和49年) | 1月 | 塩化ビニル用安定剤製造に着手 |
1976年(昭和51年) | 2月 | 株式会社鉛市を設立、N-メトキシメチル化ナイロン、合成香料中間体等の 製造開始 |
1980年(昭和55年) | 7月 | 堺市化学工業団地(現在の所在地)に移転 |
1991年(平成3年) | 11月 | 自動倉庫を導入し、物流センターを新設 |
1992年(平成4年) | 9月 | 研究室を増床し拡充 |
1994年(平成6年) | 5月 | 複合安定剤設備を増設 |
2003年(平成15年) | 4月 | 隣接地を買収し工場と物流センターの再構築を実施 |
2003年(平成15年) | 8月 | カルシウム亜鉛系複合安定剤の専用生産設備を新設 |
2008年(平成20年) | 10月 | NIケミテック株式会社へ社名変更 |
2012年(平成24年) | 4月 | 粉砕設備一系列を新設 |
2014年(平成26年) | 4月 | 複合安定剤の生産設備一系列を新設 |